ジャパネットたかたのファンには「社長が大好き」と言う人が多いはずです。有能な社員、スタッフが増えている同社では、いまや「ジャパネットたかた=社長」といった図式は古い見方になるかも知れませんが、それでもなお高田社長の持つ魅力は色褪せることがありません。
高田社長は1948年生まれですが、実年齢より非常に若々しく見えますよね。高田氏は1971年に大阪経済大学を卒業後、京都の機械メーカーに就職し、語学力が認められて2年目からはヨーロッパに駐在しドイツを拠点にさまざまな国で機械を売り歩きました。
その後大学時代の友人と翻訳会社を起こすものの、立ち行かなくなり、実家のある長崎家業のカメラ販売店で観光写真の仕事を手伝うことになります。
そして1986年にソニーの特約店として独立、ソニーの特約店としては九州で3番目の売り上げを誇る会社だったようです。
少しでも営業・セールスの経験がある方なら、テレビでの高田社長の商品プレゼンを見れば、「あっ、この人のセールスは本物だ」と気づくはずです。高田社長は家業の「たかたカメラ」の平戸営業所時代と独立後の「株式会社たかた」の創業時に相当の苦労をして業績をあげてきたようですが、このときに培った営業・セールスの経験が、短い時間で見る人に共感や感動を呼び起こさせてしまう、高田氏の驚異的な商品プレゼンを生んだのではないでしょうか。
2004年に同社の元社員による顧客情報の流出事件では、流出事件発覚当日、出社2時間後に記者会見を開き、50日間のラジオ・テレビの活動の自粛を発表したことは有名な話です。
その後、事件が発覚した3月9日から12日までの4日間、毎日テレビや新聞紙上で謝罪を繰り返し、その後も事業再開までの約1ケ月半ものあいだ、1週間ごとに同様に謝罪を繰り返します。この自粛期間の機会損失は150億円にものぼるといわれ、一時は倒産も考えなければならないような状況まで心配されたようです。
しかし各メディアで謝罪を繰り返し、消費者に分かりやすい対応をとったことは逆に評価され、ジャパネットたかたのへの評判を著しく低下させることはありませんでした。
全てにおいて迅速な対応を決断したことは、「素晴らしい采配」や「リスクマネジメント」として評価することも出来ますが、高田社長は「私たちの商売はお客様あってのもので すから、まずは反省してお詫びすることが人間としてごく自然な判断だったのです。」とのちのインタビューで語っています。
「反省してお詫びすることが人間としてごく自然な判断だった」という言葉に、この事件での対応の全てが詰っていると言えるでしょうし、高田社長の商売に対する謙虚な姿勢が良く示されていますね。
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